図書館で借りた平家物語(要所抜粋版)を読んだら、結構知らなかったことが多かったです。
ということでいきなりですが、真白の気になった箇所のコーナーです。(何
1.平家物語における弁慶と敦盛の扱い
・・・って何だか堅苦しい論文のようなタイトルですが、あほで薄っぺらいことしか考えてませんよ!
この本の後半が主要人物辞典になってるので、本を手にとって真っ先にあっつんの項目見ようとしました。
五十音順で、平家がいきなり「平清盛」から始まってて絶望。
仕方ないので弁慶の項目見ようとしたら、源さんの次が以仁王で絶望。
もしかしたら「武蔵坊弁慶」じゃなくて「弁慶」で載ってるのかなぁ~と淡い期待をこめましたが、藤原さんの次が源さんで絶望。
何 だ こ の 本 は ! ! ( 怒 )
なんて友人に愚痴ったりしていましたが、実は平家物語での二人の存在ってそこまでじゃないんですね;
敦盛なんていったら、中学の古典の授業で絶対出てくるんで「平家物語といったら敦盛」というイメージ強かったんですが、見せ場はあそこだけでしたか。
っていうかお亡くなりになられる場面を見せ場といわれても(苦笑)
弁慶に関してはほとんど出てこないらしいです。
うっそん九郎さんのあんな身近な存在なのに。
ちなみに、
私「あっつんは俺の嫁!!」→友人「敦盛って誰だっけ?」→私「中学の古典で習った人!『平家物語』で「敦盛の最期」ってあったじゃろ?」
という流れのせいで、私が年下の美少年好みと認識されてしまったんですが、
ど・・・どうすれば・・・(汗)
くっ・・・平家物語作者がいらんこと書いてくれたせいで・・・!!(恥)
2.九郎と景時の関係
史実でのこの二人の関係が微妙なものという認識はありましたが、ここまで仲悪いとは思いませんでした。
あー、そんなにしょっちゅう意見衝突してたんですねー;
景時めっちゃ九郎嫌ってますやん。
景時ルートでの九郎との意見衝突でもハラハラしてたんですが、あれは遙か景時が柔和な性格だからあれで済んだんですね(苦笑)
むしろ九郎さんの方が噛み付いてたな(笑)
しかも九郎が頼朝から追われる決定打となったのが景時のせいだったのも知らんかった・・・!!;
でもだからって景時一人責めるのもよくないよなぁ;
もう・・・九郎さんも頑固なん だ か ら v (何
そんな景時さんを大河ドラマ「義経」で演じた中〇彬さんは、天地人で毛利輝元です。
私の中でどうしても、元就→三兄弟(子供)→輝元(孫)という印象なので、輝元は十歳未満の子供として認識してるのでおっさまな輝元にビミョウなショックをうけた遠い日の思い出。
3.義経と大江広元
大江広元は偉大なる毛利の始祖でございますv
そんな広元サマと九郎が接触していてびっくりしました。
元々は毛利も東国出身で広元は重要な役職についてた人だったのですが・・・
頼朝に追われそうになった九郎が、弁明のために書いたあの「腰越状」。
あれは直接頼朝に送ったのではなく、広元さんに送ったものだったのですか!!??
もちろん腰越状の存在知ったのはゲームプレイ中でしたので(笑)、てっきり九郎→兄上だと思っていましたが九郎→広元だったとは・・・!!
広元さんに送って兄上に取り次いでもらう気だったらしいです。
まぁ、兄上はそんな弟の思いをはねのけたわけ で す が ! ! (怒)
元就のご先祖さまが義経と関わっていた事実にうれし驚きでした。
以上。
ふぃー・・・・何かどうしても私の日記は長くなりますね。
そんな大したことかいてないのに無駄な部分が多いのかな・・・;
でもすっきりしました。ありがとうございます。完全な自己満足です。
引き続きゼミ課題の資料で「広島県史」(昨日のダイエットした方がいいんじゃないかという本)を読んでおります。
そこで発見した驚くべき名前。
よっ・・・・・
頼忠さんッ・・・・・!!!???
まさかの頼忠さんが書いた手紙発見しました。(笑)
そいえば去年授業の発表準備で家系図あさってたら見つけてたんですよ源頼忠さん。
ついでにまさかな~と思って探したら「源頼久」さんもいたという事実。
まっっっったく表舞台に出なくて名前だけかろうじて伝わってるくらいの方だと思うし(ごめんなさい 汗)、コー〇ーさんも絶対意識してなくてただの偶然だろうけど、素晴らしい偶然です。
ついでに
何か・・・安芸国の国衙領の名簿っぽいところに「弁慶」なんて名前ありましたが絶対別人ですよね(笑)
PR