バイト時にやけどをして泣きそうです。
オーブン(かまどみたいな大きいもの)から出したばかりということをすっかり忘れて、思い切り皿をつかんでしまいました。
ジュウゥッと音がしそうだった;;
現在もまだひりひり痛いです。うぅ~
この間相互リンクありがとうございますと送りつけてしまった献上品の絵たちが嬉しいお言葉を頂きガクブルでした。
おまけに飾っていただきもして!!
ありがとうございます!もったいないお言葉の数々・・・そこまで言って頂けると本当に描いた甲斐があります(涙)
しょっちゅう思い出しては所構わずにやけておりましたvv
【私信】・唐梨様・・・わざわざ飾っていただき本当にありがとうございます。
涙で前が見えませんー!!;
そして光へのお祝いのお言葉もありがとうございます!
本人いたく喜んでおりました。
さて、今日はお昼に歴史について素晴らしい番組をやっていたのでちょっと語りたいと思います。
ほぼ全て番組の内容受け売りなのですが、本気で私も驚いたので、長くなりますがお暇な人は見てやってください。
『歴史ミステリー ”大奥”日本の歴史を動かした女3000人の園徹底解明スペシャル』という番組でした。
(題名長いよ;;)
実は最初知らなくて前半一時間見逃し、徳川綱吉関係の話が見られなかったのはショックでしたが、後半の内容だけで満足ものでした。
「大奥最高の女帝」とよばれた春日局と島原・天草一揆を起こした天草四郎の話です。
島原・天草一揆が起きたとき、幕府は徹底的にこれを制圧し大虐殺を行いました。
それにしても何か関係があっただろうか、この二人。と思ったのですが驚き驚き!
話はまず豊臣家の滅亡ともなった(余談として、幸村が討ち死にした 泣)「大坂夏の陣」から始まります。
この大坂の陣で、豊臣秀吉の跡継ぎ・秀頼と、織田信長の妹・市の長女で秀吉の側室・淀殿(茶々)は大坂城内で自害したといわれています。
これにより豊臣の血は途絶えたのですが、実は秀頼は城内の抜け穴を使いこっそりと脱出し、九州の島津藩まで逃げ延びたという説があるのです!
確かにあれだけ壮大な大阪城なれば、抜け穴の1つや2つあっても不思議はありません。
じっさいに九州のとある民家の庭に、秀頼の物と言われる墓が実在していました。
この秀頼生存説を裏付けるものとして、天草四郎が関係していました。
島原の乱を起こした際、天草四郎の馬印には、なんと瓢箪が掲げられていたのです。
この瓢箪は秀吉の正妻・ねね(木下家)の家紋だったのです。(もっとも木下家は逆さ瓢箪でしたが)
ということは天草四郎は豊臣家の者か?という仮説が立てられることになります。
現在鹿児島に残されている書物の中には、『豊臣秀綱』という名前が記されており、豊臣家が生存していたという事実は否めません。
ここから話を少し変えて、春日局の生い立ちを話してみます。
春日局の父は美濃の斉藤利三で、この斉藤利三は明智光秀の甥(または従弟といわれる)でした。
同時に光秀の重心でした。
そんな春日局の人生を変える出来事が、歴史としても大きい「本能寺の変」だったのです。
この謀反により光秀は信長を打ちましたが、数日後には秀吉によって敗北しました。
光秀は農民の手により殺され、その家臣や親戚などはことごとく秀吉の手によって処刑されました。
春日局も目の前で父を処刑され、それは幼き彼女にとって生涯忘れられない豊臣に対しての憎しみを抱かせたのです。
そんな彼女も大人になって、大奥に入り、徳川家光の乳母を勤めるなどかなりの権力を持つようになりました。
そんなときに起こった事態が、島原の乱。
天草四郎の馬印を見て豊臣家生存の事実を目の当たりにした彼女に沸きあがったものは復讐の念。
父や光秀をを殺され血縁のものをことごとく死に追いやった豊臣への復讐、今こそせんと立ち上がりました。
島原・天草一揆は実は豊臣家VS明智家の戦いともいえたのです。
実際、この時期の徳川家は3代将軍家光の時代でしたが、このとき家光は病に臥せっており明日にもどうなるかわからないという状態で命を下すのは不可能がありました。
ここで、大奥でも最高権力を持っていた春日局が命を下し、一揆集をことごとく根絶やしにしたことは十分に考えられるのです。
そのようなことができるほど、江戸時代の大奥には力があったのですね。
家康の時代にはまだ大奥は、ただ側近や女中など単に女性の住まう場所としか意味のないものでしたが、家光の時代になり大きく変わったのです。
一揆を鎮圧したこのあとも、史実の違いを論じながら春日局の様々な行動をやっていましたが、記憶が曖昧になってしまった部分もあるのでここまでにしておきます;
この番組最後で、ゲストたちの結論が『怒らせたら女性は怖い』というものには少し笑えました。
まぁ、それは場を和ませる手段ですよね。(笑)
でも、本当におもしろい内容でした。ねねの出である、木下家の子孫とかも実際出てきて嬉しかったですし。
現在、日本史はいろいろ違う部分が発見されてだんだん内容が変わってきていますよね。
聖徳太子とかもあのお札に描かれてある肖像画とは別人のようですし。
何が間違いで何が本当なのか分からなくなってきている。私も人生をかけてそういうことを解明していきたいなぁ・・・
と、夢だけ持ってみたり。 職業としては無理ですよ!!(汗)
ここまで読んでくださった方、興味のない方には本当につまらない語りだったとは思いますが(興味ない人はおそらくここまで読んでません)本当にありがとうございます。
すごく自己満足な日記になってしまいすみません。
楽しかったですv(結局それか!)PR