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最近初めて聞いた、真白家のご先祖さまについてまぁ驚きました。
わが町(とはいっても結構遠い山中)にはN城という、地元の人でもあまり知られていないような小さな城跡があります。
小さいながらも、殿や姫様はやはりいたそうです。
そのN城と我が真白家の先祖が関係しているとは以前から聞いていたのですが、今回ひょんなことから一気に詳しい事が知りたくなり、おじい様に突撃取材してきました。
そのN城は、おそらく戦国時代の初めごろに存在していたのですが、あるとき攻められて落城したそうです。
その時城主などは切腹して果てたのですが、姫は数人の連れと共に落ち延びたそうです。
いろいろな場所に逃げ、結局連れは切腹したらしいですが、その姫を最後にかくまい助けたのが庄屋をしていた真白のご先祖様らしいのです。
そしてそのご先祖様はその土地を平定・・・ではないですが、何か良い具合に作り上げたそうで、人々は「○○(←真白本名の苗字)神社」を作って真白先祖を奉りあげました。
この神社は実際、隣町の真白本家の近くに現在も存在しています。
神社があるとは知っていましたが、こういう経緯があったとは初耳だぁ・・・。
元々は真白の苗字は全く違う苗字だったのですが、真白先祖が広めた土地名から現在の苗字に変わったそうです。
「家柄は悪くはないんよー。まぁ今の世にはほとんど関係ないけど」とおじいさま。
イエイエ、思いもよらぬ事ばかりで私なかなかに驚きでしたよ・・・?
本家にこういう書物や家系図はないの?とすっごく見たい気分でたずねたら、
なんと家系図は二代目庄屋が燃やしてしまったそうです。
・・・・おいちょっと顔貸せ表出ろ二代目庄屋ぁぁー!!
(本気で口調がっ・・・ 汗)
家系図貸してと言われ貸したところ、なぜか勝手に燃やされたそうです。
い・・・意図が分からない・・・;
何か不都合な事でもあったのでしょうか?
ものすごく悔しいです・・・二代目庄屋・・・(怒)
書物もおそらく無いそうで、真白の神社に「神社が建てられた経緯」が書いてある札がありますが、それを書いた人なら何か情報を持っているかもしれない、とは言われたものも探す当てもないしこの世にいらっしゃるかどうかも分かりません。
うー・・・何とか知りたい。とりあえず本家で話聞きたい・・・。
でもたぶん知っている人はいないのですよね;
今回先祖に興味を持ったきっかけが、友人Rでした。
Rの父上さまが城跡巡りが好きらしく、つい最近
R 「真白の町の近くにも城跡があるらしいね。えっと確か・・・N城?」
真白 「N城!?」
と話題が出たことからでした。
そしてRからその時聞いた衝撃の事実ですが、このN城で虐殺を行ったのが
何と我らが毛利元就でした(!!!!)
そっ・・・・そんなところで繋がりが無くても・・・(泣)
一歩間違えれば姫をかくまったとして真白家も処せられてたかもしれないよ・・・;
元就、かたきになるところだったよ・・・(泣)
それでも憎むなんて出来ないけどさ・・・;
元就好きが・・・皮肉な事よね・・・
Rには哀れみのお言葉を頂きました。
その後の調べで分かったのですが、元就の名を全国に知らしめる事となったVS陶軍との「厳島の合戦」
この合戦の前に、元就にあまり賛同しなかったいくつかの家があり、N城城主もその一人でした。
こうなると毛利側としては陶軍に付くのを恐れ、先手を打ち滅ぼしたということらしいです。
賛同してくれよN氏・・・(涙)
ちなみにもう1つ毛利に賛同しなかったとして挙げられていた城が、現在のO山にある城でした。
このO山、お花見スポットとしても有名で今年初めて私はこのO山に訪れていました。
そして偶然ここに城があったことを知り、偶然連れも歴史好きであったため2人で「二の丸ー!三の丸ー!」とはしゃいでいました。
偶然といえばすごい偶然ですがなんとなく複雑な心境です(苦笑)
私はナリ様に好かれていないのかしら(泣)